2024年9月21日土曜日、天候に恵まれながら『Solo Guitar Competition』が東京にある「古賀政男音楽博物館けやきホール」にて開催されました。
今回で2回目となるこの競技会に私はクラシックギター製作家目線でクラシックギターコンクール(以降クラギ:略)との類似点・相違点を探しに伺ってきました。
個人的には初めて聞くスティール弦ギター(以降鉄弦:略)のフィンガーピッキングスタイルコンペティションであります。内容としては文字通りにコンクールと同じ競技会であり、若き次世代ギタリストを主とした育成を兼ねた「登竜門」的な意味合いが強いのかなあと感じます。主催された重枝氏からも直接きかせていただけましたが「近年は若手のプレイヤー(20~30代)が減少しており、危機感を感じています。このようなコンペティションを開催することが、若手の育成に繋がるならと願っております」素晴らしいと素直に思いました。
審査員には6人のプロギタリストが揃い、その中から音源審査員も両立されている構成です。クラギの場合は競技会によって音楽評論家や作曲家・多種のクラシック楽器プレイヤーなども審査員に含まれることがあります。ただ、鉄弦の審査員の各々方は作曲も編曲等も兼ねてご活躍されていると思われますので、それぞれの審査員達の選択特徴もみてとれました。鉄弦の競技会は他をみていませんので、限られた表現をお許しください。
本選にエントリーされる競技者は事前の申込み段階から行われる音源データによる審査を通過された人達です。ここはクラギでも同様な審査が行われますが、コンクール当日は二次予選といった形式からはじまり、そのあとに本選が始まります。
クラギの場合はクラシック音楽から課題曲が与えられ、その後に自由曲を演奏することが多いのですが、審査し易い時もあれば接戦となり音色や細かいテクニックで評価せざる得ないこともあるようで楽譜が有る分、競技者達のプレッシャーはかなりのものだと思っております。それとは対象に、鉄弦の競技内容はアレンジ曲・ソロカヴァー曲・オリジナル楽曲と個々に演奏内容が均一ではない為に譜面通りという形式が見えない分、審査員の苦悩のジャッジは計り知れないでしょう。競技者たちも自身の音楽性を伝えるのは難しいと感じました。両ギター競技会の類似点といえば、審査員の方々も語っており「どんなに技術があっても、どんなにいい音色が出せても、観衆に伝わらなければその意味が薄れてしまう」といったような事ではないでしょうか?それは経験によって生まれる泥臭さや深みかもしれません。この演奏者が醸し出す個性という色はご自身の努力のみによって生み出されるものであり、我々製作家が楽器を提供したところで上辺しか変えられないと個人的に感じています。内面的な部分はこのようなコンペティション・コンクールといった経験も大切であり、そして日々の鍛錬が自身を成長させるのではないでしょうか?
『Solo Guitar Competition』のスケジュールでは、午後1時から会場となり1時半より開催になり、詳細は最後のリンクをご覧ください。
カヴァー部門では8名が出場、アレンジ曲・ソロギターカヴァー曲からなる構成は名曲にも関わらずそのアレンジの豊かさにギタリスト一人一人の才能のすごさに魅了させられます。この部門の1位に輝いた長柄快氏は印象深かったのを覚えております、アルペジオが美しかった。楽器の愛称もあったかもしれません。無論、鉄弦の評価をできる身分ではありませんが、なぜか共通できるものを感じていた気がします。プロフェッショナル部門では10名が出場、色気や情熱、感情的な信念もより強く感じられた印象です。この部門で1位を勝ち取った坂本佳祐氏の演奏は観客と審査員のハートを鷲掴みといった具合でしょうか?表現力もテクニカルな意味合いでも心を奪われました。「いや~、鉄弦の競技会っていいものですね」。クラギ製作側の一人として個人的に興味深かったのは、ギター形状の豊かさです。レキントギターのような小型な楽器もあれば遠めに見てもこれはマーチンかというボディーラインもあり、見ていて音楽に集中できない時間もありました。クラギコンクールでは昔はヘッドシェイプやロゼッタ(口輪装飾)で見た目から大体の楽器が検討ついたものですが、昨今は製作家の数も増えて音色と組み合わせても当ててみせるのが難しくなりました。いや、私自身が昨今の楽器スタイルから目を背けているからでしょう・・・いけませんね。
今大会は表彰式が終わった後に、前年度優勝者である伊藤光希氏によるライブ、そしてなんと全審査員のライブと続き終演は20時半近くという実に内容の濃いものでした。前年度優勝者の演奏はクラギコンクールにもありますが、全審査員の演奏は美味しかったです。もしもお代わりの拍手を来場者がしていたら、審査員のどなたかは倒れていたかもしれません。
受賞者の方々、おめでとうございました。そして出場者すべての方々、お疲れさまでした。益々の飛躍をお祈り申し上げます。
また、この素晴らしいコンペティションを主催された『一般社団法人ソロギターネットワーク』さま並び審査員の方々、スタッフの皆様、刺激と感動をありがとうございました。
拙い文章で大変恐縮ですが、最後に「競技会と製作家のボーダーライン」について、個人的な考えを記させていただきます。これは今年になってクラギのとあるコンクールへのご案内を頂いたときに、すこし残念に感じた内容が書かれてあり、小さなことかもしれませんがすべての製作家が同じ考えではないことを伝えたいのです。
私はクラシックギター演奏を今は亡き大沢一仁氏に数年ではありますが師事していました。師はスペイン王立マドリッド音楽院を卒業後、様々な活動を得て日本のクラシックギター界においてギターにおける幼児教育の重要性を考え、日本ジュニア・ギター教育協会の設立をはじめとし、コンクール等にて若手育成に貢献された方でもありました。また、私の父親が師との交流も深かったために私自身も幼い頃から様々な話をそばで聞かせていただくことがありました。そう、一番印象に残っていることですが大沢先生が私の父親に若手育成のためを願いコンクールへの支援・協賛の話をもちだしたことでした。「私はスペインに留学できて様々なギタリスト達と出会い今に至りますが、未来を背負う若者たちへも色々な経験を重ねてもらい将来を支えるギタリストを育てたい」といった内容です。「それには、実際問題お金がかかります。コンクールの賞金はその自身の技術を高めるために少しでも足しに使ってもらいたいのでお願いできませんか?」と付け加えました。幼いながらに、学校以外にもこのような教育者がいるのだとただただ驚いたことを忘れられません。その意味を実際に理解できたのは、私がギターを作り始めてからだった気がします。父親に習いながらも、刃物は研げない、工具は使いこなせない、ギター構造の意味がわからず負の境地。それも時間とともに少しずつは緩和されるも、それとは裏腹に自分が求めるのは追求心と技術の向上でした。そう「優れた工具よりも己の技術」。ギター演奏でも同じことが言えるのではないでしょうか?「良いギターよりも己のテクニック」。大沢先生はこのように考えておられ、協賛を募っていたと思います。勿論、父親もそれに共感して様々なところへ協賛したりしていましたが、子供を養って四方八方へ愛の手を差し出すのは難しかったと思います。
その父親が、最近になって私に工房の方向性と運営を任せてみたいと言ってくれたこともあり実際に行動にでることにしました。親子関係・師弟関係である以上、かみ合わないところも多々ありますが、二人の師の教育的一面は無駄にしてはいけないと自分に言い聞かせております。製作家であれば、仕事なのですから自身の楽器をアピールし売りたいのは心情というものであります。クラギ界ではコンクールで勝ち取った楽器が自分に合わなければ後に売却されることもしばしば、それは悪いことではなく練習・演奏するにあたって支障がでれば死活問題なのですから、サイズにしても弦の張り具合・音色などでもその受賞者に合わせて作るのは困難というものであります。しかし、売却されたとしてもその額が大きければ、最大の協賛金として渡せるのです。(いつもこのようなことを口に出して嫌がられる日々ですが)
私は悩みました、どうすれば協賛楽器が喜ばれ若手育成にも繋がるのかと。そこで大阪で開催されているコンクールが目に留まりました。学生部門もあり、こちらの審査員に無理を言って学生最優秀賞に私の楽器を提供させていただくことを。勿論、目録として希望スペックを相談したあとの後日製作としてやれる範囲で製作させていただきます。学生対象でもあります、サイズもきっと変わっていくでしょう、結局は手放される可能性もあるわけですが、よいのです。受賞者によっては学生の時に勝ち取った手工品のギターもコンクールの醍醐味と身をもって感じていただけると信じております。次は賞金を目指して頑張ってもらい、そしてそのお金は自身の技術を高める為に留学やプライベートレッスン、講習会にてご活用してもらうのこそコンクールの理念に寄り添えるのではないでしょうか?
それが、昨今の案内いただいたコンクールの企画には「新しい試みとして楽器展示」の内容が記されておりました。
弦楽器製作家が組織する協会の展示会にて、先輩製作家にふざけてつぶやいたことがあります。
私:「どうせ売りたいのならならコンクールに展示させてもらうのはどうですかね?」
先輩:「バカヤロー、勝ち取った賞金で俺らの楽器を買えっていうのか?コンクールの意味を分かっているのかお前は?スポンサーだって怒るぞ」
昔は冗談でも怒ってくれる人がいたな~ 弁えていたんだよな先人達は
そう、「展示ありきのフェスティバル内での競技会」と「教育理念を掲げた競技会での展示」は違うものと考えております。製作家は踏み越えてはいけない展示があることを知っておくべきだと考える今日この頃です。
私のような考えを持った製作家はほかにもおられるのです