今回は日本のギターの歴史について触れてみます。
個人的に歴史とは文献や絵画、彫刻などといった方向から発見されたり想像されたりする
ものと思っております。しかし、その出来事が小さければ小さい程、その根拠を見つける
のは難しいことだと考えます。ここに日本のギターの歴史を用いることは確信は薄く、ま
た確証もありませんので、皆さんも一緒に仮説を立ててみるのも面白いと思います。
では、一つの仮説として自分が触れてみたことをご説明いたします。
■ギターの日本到来って?
我が国においてギターが持ち込まれ演奏されたのは江戸時代末期、黒船とともにやってき
た と言われております。竹内貴久雄著者の本によれば私が端折ってご説明すると「二度目
のペリー提督一行来航の1854年(嘉永7年)にアメリカ艦船の乗組員 によるペリー側の江戸
幕府関係者への接待攻撃の時であった。前年のペリー提督側の強引な態 度が効果を生ん
で、開国に向けての気運がかなり高まっていたからだ。その時の余興として横 濱で催され
たのが『ミンストレル・ショー』と呼ばれる音楽ショーである。当時の記録にはギ ター
は日本の楽器になぞられて表現され「三味線」と記されており、ペリー提督一行来航以前
にはまだギター文化がなかったことをより印象づけさせる。」といった具合です。しかし
ながら、そのショーの絵巻からはどの様な種のギターかはわかりません。スティール弦に
よるアコースティックギターはもう数年後と言われておりますので、まだ羊の腸等を使っ
たガット弦ギターかもしれませんね。気になってヘッドのペグの数を数えてみたら、6個
飛び出て見えました。皆さんはいかがでしょうか? 1840年代にはすでにソリッドヘッド
もスロテッドヘッドも存在していたこともあります。真横に太いペグが飛び出ていてヘッ
ドの中央にくり抜いた穴の影がみえます。これはヴィオラダガンバヘッドの流れをもった6
弦ギターでは?当時のアメリカへ移民達が持ち込んだとされるヨーロッパの中でも珍しい
形状ではないでしょうか?その理由はソリッドヘッドでは木ペグ(バンジョーペグ)を下
からヘッドを貫通して飛び出たペグ先に弦を巻くので溝穴は不必要。スロテッドヘッド
ジョイントはヘッドの左右から突き刺すので、ペグの弦穴を出すのに基本は左右2つの穴
をあけます。このような事を考えると、何時の時代もヘッド一つをおいても職人は色々な
ことをしてきているのだと関心させられます。とは言え、三味線と記されていることから
最終的には絵師の気持ちになると三味線ヘッドに落ち着いてしまう自分がいました・・・
また、そのボディーは太いロゼッタ(口輪の装飾)やパーフリング(ボディーラインの装
飾)から華やかさを感じられますと、クラシックギターの一昔前として位置づけされてる
ルネッサンス・バロックギタースタイルあたりを想像してしまいます。
■日本国内でギターを手にした日本人説?
ギター製作者において、ヴァイオリン等の擦弦楽器(指や棒で弦を擦って鳴らす楽器)、
リュート等の他の撥弦楽器(指、爪、ばち、ピック等で弦を弾いて鳴らす楽器)を併用製作
す る製作者が多いのはそのルーツが複数でなかったことが言えるのかもしれません。し
かし、それ ぞれの国の音楽の風土によって歴史、そのスタイルが各地で進化していった気
がします。ギターとリュートは過去においてしばし同 じものとみなされてきました。構造
の細部で多くの類似点を持ってはいますが、音楽史にそれぞれ異 なった位置を占め異
なった発展を遂げているのは確かです。それらが、日本へ上陸して楽器の進化はさらな る
方向へ向かって行くのは他国同様であるのではないでしょうか?
日本で初めてリュートを聴いたと言われているのは 足利時代末期の1550年頃以降とされて
いますが、ギターも持ち込まれたという説も耳にします。もし、そうであればその時代の
誰かがギターを弾いてみた可能性も? おもしろい事ですが、この頃って16世紀の終わり
にそれまで4本の弦しかなかったギターに(E)すなわち5番目の弦をもたらしたスペイン
ギターの父と呼ばれているVicente Espinel(ビセンテ・エスピネル)が生まれたのが1550年で
す。勿論、リュートはキリスト教の布教活動の一環として入ってきたことを意味していま
す。しかし、その後は1612年(慶長17年)まで徳川幕府 によるキリスト教に対する禁教令が
施行されるまでは空白であり、ポルトガル商船に同乗したキリスト教宣教師一団の誰かが
ギターを持っていたのかは文献にも絵画にも残されていないようで謎らしいです。そして
半世紀にも満たない日本のリュート・ギター?史は封印さ れてしまったようですね。
ひとまず今現在、私が歴史という分野において疑いなく目の当たりにできるのは、ギター
が日本に降り立ったのは「二度目のペリー来航時」ということで納得しております。