「Tetsuo’s Room」始めます

〜はじめに〜

ギター製作家の黒澤哲郎(くろさわ てつお)と申します。高等学校を卒業後、父親にクラシックギター製作を学び、2年後にスペインへ渡り伝統的な製作方法を学びました。2023年、今日まで1000本に及ぶギターを製作し色々な体験と経験を積み重ね自分の求めるクラシックギターの音色を模索しております。

この『Tetsuo’s Room』では私の個人的な視点、観念から自身の製作理論や実験などを紹介していきます。勿論、物理学・構造力学または音響学などを学んだ訳でもありませんし、ギターの歴史についての研究に携わったこともありませんので、これから展開する内容においては独学の部分も大半ですので正しい評価は得られない事をご理解ください。しかし、実際問題に対して自分なりに向き合ったことをご紹介いたします。

ギター愛好家、プレイヤーにとって製作家がどの様な人物像であって、何を思ってギターを製作しているのかは未知な部分が多いのではないでしょうか?製作家はそれぞれ違う製作理念を抱いており、それが楽器の個性として表現され進化していくと私は感じております。

私自身、ギター製作家そして愛好家の一人としてこの素晴らしい楽器を多くの方々に知っていただけるよう、今まで他言した事がなかった内容も含めて『私にとってのギター』を様々な角度(製作工程、製作実験、ギター談義、他)を個人の経験・体験をもとに製作家目線でご紹介していきたいと思います。

■ 製作理念

理念とはいえども、その心得・志しは様々な経験と熱意によって変わってきた気がします。と、言ってしまえばビジョンに欠けた放浪者に思われてしまうかもしれません・・・

ただ、気持ちの中で自分が正しいと思う事柄があれば葛藤しながらも方向転換したほうが突き進める道が見えてきたのは確かです。クラシックギター・フラメンコギターをメインに製作している2023年の現状としては、「伝統製作工程における意味合いを大切に楽器としてギターを製作し続けること、そして生音を多くの人に伝えたい」をポリシーにしております。

いままで、様々なアーティスト達や愛好家達とギター談義をしてきました。ギターは確立された『1楽器』であるという方々もいれば、時偶『ギターは音楽を表現する為の手段である』『ギターは音楽を表現する道具の一つである』などの意見を耳にしてきました。個人的には確立された1楽器であってもらいたいと願っております。現在のアコースティックギター界の分類の中で、クラシックギターを確立した国であるスペインで学んで感じたことが『ギターは当時スペインの文化』であったのでは?ということです。アントニオ・デ・トーレス氏が今の12フレットジョイントからなるクラシックギターの基礎を築き上げ、フラメンコギターですら12フレットジョイントの枠からはみ出しません。その12フレットジョイントで確立された設計が当時の製作家は勿論、作曲家、音楽家に浸透し譜面が起こされ、奏法もその設計以外は受け入れなくなっているのではないでしょうか。それこそ、クラシックギターは文化そのものであり1楽器として君臨しているのだと思っております。スティール弦ギターであっても、その誕生した国の歴史に伴い展開された1楽器なのでは?とも思っております。そしてより解放された文化において楽器が進化し続けている。

最近でこそ私は14フレットジョイントの楽器を製作し始めましたが、それはスティール弦ギター製作家との出会いがあってからこそ、その歴史を得た製作工程を少しずつ教わり、理解し始め、改めてギターという楽器を楽しめている気がします。

この製作理念の変化もスティール弦製作家との出会いによって成されたものであり、個人的にはこの繋がりこそ日本の文化に変貌していくのではないかと期待すらしている昨今であります。

個人的ではありますが、もし「ギターという物が音楽を表現する為の手段」と捉えてしまうにはギターの為に編曲された名曲が多すぎますし、ギターによって地域性を連想できる名曲が溢れております。実際、あるクラシックギターの名演奏家が一昔前に「今時、タレガやアルベニスなど弾く人間はいない」おっしゃっておりましたが、現在ではこれぞクラシックギターの名曲という王道な曲を結局のところは弾いております。単語の語源はおいておいて、これこそ楽器という位置づけなのでは?と考えているところであります。また「ギターが音楽を表現する道具の一つ」に関して言えば実際のところ私も昔は同調していく時期もありましたが、道具一つから作り出される物や文化はあるのか?と考えると難しいことでした。製作家であれば道具とは物を生み出す為の手段であり、それは複数の道具がなければなし得ない業だと心得ます。しかし、ギターは1つの作品であり一本でも文化を表現し主体性をもつことが出来るのでは?と考えるようになったからです。

この『Tetsuo’s Room』において、個人的な見解を指し示す表現がでてくると思います。

不適切な表現があるかあもしれません、出来る限りは実体験のもとで投稿していきますのでご理解のほど読んでいただければ幸いです。

まずはご挨拶まで

写真: 1997年 Maestro Mariano Tezanos とMaestro Teodoro Peres の工房にて